「またね」
そう言って笑顔で別れました。
らしいといえばらしい。
2年半という月日。
短いようで長いようで、どちらとも感じる何とも不思議な気持ち。
僕が見ていた「本田みく」という存在は、ひとつの時間軸にあるわけではなく、何となく懐かしさを覚えたものでした。
中学生の頃、夕日の帰り道を自転車で走っていたら、たまたま見かけた…当時、顔合わせば憎まれ口、でもちょっとだけ好きだった、腐れ縁と言ってもおかしくない同級生の女の子の横顔。
高校生の頃、学校祭が終わった後の校庭で、余韻に浸りながらグラウンドの端に座っていたら、「何してーんの?」と不意に後ろから声をかけられて、隣に座った学級委員長だった女の子の横顔。
田舎から札幌に出てきて、強くもないのに一緒に酒なんか飲みながら、その娘には全く興味ないフリして、いかにも客観的な風の恋愛観なんか語った女友達。そのまま朝を迎えて、ただ酔いつぶれた寝顔を見つめて「何やってんだろ?オレ」と笑ったり。
明け方、一緒に歩いていたら、突如、歌いだしたり、踊りだしたりしてたあの娘。
…自分の過去の実話ですが、すべて違う相手。ましてや「本田みく」さんには全く関係ない話です。
関係ない話なのですが、実は自分の中で共通していることがあって。
その一瞬、その一瞬、「この時間がいつまでも続けばいいな…」という心地よさの部分。
こちらのサイトで上げているとおり、写真を撮る機会が多く、比較的過ごした時間も多いタレントさんでした。どの場面でもそうだったんですが、撮っている最中、何となく懐かしく感じていた部分があったんです。
漠然としすぎていて、誰かに上手く説明することもできない感情なのですが、そういう「懐かしさ」があったから安心して一緒にいられたし、アイドル・モデル・タレントであるという、制限された立場があったからこそ、その先の未来を見たいと思ったのでしょう。
ドラマで見るような都会的で洗練されたような気取ったものではないです。
田舎の、素朴な、下世話な、毒もあって、でもどこかで純粋な。
恐る恐る信じたり、騙されて傷つく姿を見たり。
ことあるごとに感じてました。
20歳近く歳が離れているのに、幼馴染に会うような感覚。
そういうのが彼女のイメージに付きまとうのです。
さて、先日、2代目HAPPY少女というグループでは会うことが最後になるであろうイベントで少しだけお話しました。彼女が休業宣言してからおよそ2ヶ月ぶりです。
ひ「久しぶり。う~、久しぶりすぎて何話せばいいかわからんな」
み「ひでたんにはいっぱい話したいことがある…けど、」
ひ「そうなんよね。俺もいっぱいあるわ。」
み「私、(卒業することを)決めたよ」
ひ「うん」
み「でもまだこの先が何も決まってない(苦笑)」
ひ「まぁ、悠長なこと言ってられないだろうけど、ゆっくり見つければいいさ」
み「みんなそう言うから、まったく最後って気がしない」
ひ「長い付き合いになりそうだね^^;」
み「…うん!」
ひ「まぁ、2年でも3年でも待ってるしwまた撮らせてちょ♪」
み「そんなにビジュアル保ってられないよ~?w」
ひ「はははは!よーし、じゃ、またな~!」
み「またね!」
じゅうぶんでした。
何だかね、前にも書いてたことあるけども、人生っていろんな「機」のめぐり逢い。
個々にいろんな思いを孕みながらも、運命の綱引きをしているような感覚があるのです。
綱引きをしていれば、普通はどちらかが勝つこともあればどちらかが負けることもある。
が、何故か彼女とは常に同じチームにいたのだろうかと思うほど、絶好調のときは共に波に乗り、不調のときは一緒に不調の谷底へ落ちる(笑)
バイオリズムっていうんですかね?
実に不本意なところももちろんあるんですが、共に戦った戦友のような気持ちではあるわけです。
本当に「縁」というものがあるのであれば、この先、またどこか、運命の交差点でバッタリ出会うこともあるでしょう。
常々思うのですが、アイドルユニットってそれそのものに思い入れがあるわけではなくて、「2代目HAPPY少女♪」というコンテンツに乗った、関わる人間模様…メンバーだけでなく、ファンも含めた相互関係がこの組み合わせでしか成しえないところに尊さがあると思うのです。
2代目HAPPY少女♪は優等生では決してない、言ってみれば負け続けのユニット。でも、常に頭打ち感を出しながらも、何かしらの積み重ねは着実にあったわけです。
本田みくちゃん個人に目を向ければ、自身のクラウドファンディングから写真集出版という全国メディアの展開、ファンの得票からTIFという晴れ舞台へ進めたこと。それらの積み重ねが結果として現れた部分。
いろいろな仕事をしたけども、写真集を出せたことは本当に嬉しかったって、頂いた手紙(※クラウドファンディングのリターンです)にそう書かれていました。
しかし、順調に上向きはじめたところで、それだけではどうにもならない個々の事情と軋轢も色濃くなってきた。年齢的な部分、気持ち的な部分、いろいろあったでしょう。
8月の生誕後、一旦の休業から、結論として出した「卒業」という選択。
客観的な「状況」での盛り上がりと、当の本人が「やっていける」と感じる手ごたえには思った以上の温度差があったのだと思います。
TIF前後もただ黙って過ごしてわけでもないでしょうし、そこにタイミングのズレというか「機」のすれ違いもあったのだと思います。
正直なところ、みくちゃんはもっと早い段階でここではないどこかへ旅立つ人間だと思ってました。
だから、ゆいなちゃんやきょうかちゃんの卒業の報を聞いた際にも「休業」という形を取ったのが意外でした。きっと、個「本田みく」を第一に思っていたはずだったのが、いつの間にか芽生えたこのユニットへの愛情と板挟みになって、悩んだのではないかなと思ったわけです。
が、最終的に「卒業」を選んだのは「2代目HAPPY少女♪」として成し遂げたいと思ったことはきっとこの5人が揃わなければできないと、自分が守りたいと思ったのはこの5人だと思い始めたのではないのかな…と。推測です(笑)
ただの推測ですし、何を言ったところで野暮な話にしかならないので、これくらいにしておきますが…
そういうスマートではないところが愛すべき所以なのでしょう。と自分で勝手に解釈しています。
この2年半、いっぱいぶつかって離れた人もいましたし、逆に気にかけてくれるようになった人もいる。
楽しかった思い出もあれば、眉をひそめたくなるような出来事もあった。
自分のような、関わりを選択できるファンの立場ですらそうですから、無差別に多くの人と関わる本人たちはもっとたくさんの出来事がきっとあったのだろうなと。
さくらティーチャーや、グループに残るあゆみちゃん、やよたんが「いつでも帰れる場所を残す」という気持ちを表明しています。各々の人生やビジネスとして現実は厳しくとも、そういう人たちがいてくれる場所、いろんな思いが交錯する場所。それだけで嬉しいじゃないですか。
大事なものを大事なままにするために一旦終わらせるというのは決して悪いことではないし、往々にして起こりうるもの。
人間てそんな便利な生き物でなくて、ポジティブな達成感だけではなくて、常に「疲れ」を抱えますからね。
良いことも悪いことも因果として積み重なるのであれば、一旦リセットしてしまうのは全然アリだと思います。月並みで気の利いた言葉は出ないですが、不思議なもので、一旦離れて俯瞰して見ると、それらすべてが結果としていい思い出なんですよね(^^)
私が知りうる「本田みく」は…
すこぶる正義感が強くて
すこぶるいい加減で
すこぶる思いやりがあって
すこぶる冷たい
すこぶる何もわかってなくて
すこぶる勇気がある
自分を見せるための自己プロデュース力が強いと感じたことがありましたが、逆からみたら、誰かを信じたり頼ったりすることに憶病になっている部分もあるのかなと思うこともあったり。
強がりに相対する弱さ、愉快さに相対する寂しさの両面が見え隠れしていると感じてました。
Twitterや各種SNS等で見られる彼女とも、某匿名掲示板で語られるような、ある意味(悪意ある)客観的な見え方とは違い…
実際に関わった彼女自身の言葉や考え方は違った。「推し補正」と言ってしまえばそれまでなんですが、そういう泥臭さや人間臭さを見せてくれたから、気になり続けてたのだと思います。
まだまだタレントとしての殻は破り切れていなかったでしょう。
理想と現実の狭間で悩むこともあったでしょう。
彼女自身が描く「本田みく」を演じ切れてはいないでしょう。
でも、僕が好きな彼女はそういう人間。
形も距離も変わります。
でも、進み続ける限り、きっと追い続けることだと思います。夢を後押ししたい気持ちは変わりません。
まぁ、夢を諦めるのであれば、それはそれで、笑顔で過ごしてくれれば(^^)
6月の某日、自分としては珍しい、個撮の機会を設けました。
撮影現場までの移動の5分間にした会話がずっと忘れられません。
他愛もない冗談のような話。
でも、あの時間は大事なものになりました。
あの言葉が自分の中で残り続ける限り、きっと写真は続けていく。
たぶん、今、自分のアイデンティティを支えてるのはそれだけだから。
彼女は自分自身の道を歩み、たくさんの思い出を作りながら、いつか忘れてしまうでしょう。
でも、僕にはそれだけ大事な存在です。
これからも。
これまで僕のカメラのファインダー越しに見た、「本田みく」さんのすべてです。
■本田みく アーカイブ https://dpx-visual.com/portfolio-cat/hsmiku/