2018
12
Oct

雑記

機・選択・意志

今までできていたことができなくなっています。
自分自身の環境の変化、まわりとの人間関係の変化。理由はいろいろありますね。

自分の望むことと周りが求めていることは往々にして違うもの。

自分の中だけでも、上を目指すことを善しとしながら、変化を恐れるというジレンマも抱えているわけで。

ましてや、周りの人間も含めたら…

今ある環境が最上のものと捉えがちだけども、それは単に居心地がいいってだけなのかもしれない。そこにとどまることなく頑張れば、もっとすばらしい未来が待っているかもしれないけども、今より悪い状況になることもあるのではないかという不安。そういう意味で変化を恐れる。

「居心地がいい場所にいたい」ってのもじゅうぶんな理由ではあるけども、そこに存在しているものって、絶対的なものではなく、様々な物事からの相対位置なんだよね。自分もまわりも変化しないなんてことはないし、例え自分たちが現状維持を貫いてもまわりから取り残されて、あり方が変わることもある。

そんな中、自分の意志を貫くって、簡単なことじゃない。
どんなにストイックに徹したところで、迷いは生まれる。

だから、機の見極めと選択。
これってすごく大事なんだなと思う。

昔読んだ漫画、、、花の慶次ですね。
豊臣秀吉が何故天下を取れたのかって話で…

天下人は天が決める!
この俺とて初めから天下を目指しておったわけではない

俺は信長公に憧れた…そして命賭けで信長公を追いかけた
そして信長公が亡くなった…

その時 まわりを見渡せば 俺より力の有る者がいなかった…
ただ それだけのことだった

じゃからお主らが十年遅く生まれてきたことも すべて天が決めたことなのじゃ

結果論ではあるけども、このふたつをよく思い出す。
「俺は信長公に憧れた…そして命賭けで信長公を追いかけた」
「お主らが十年遅く生まれてきたことも すべて天が決めたこと」

夢中で駆け抜けること。あたかも自分だけでのし上がったような台詞だけども、必ずその様を誰かが見ていて、それに対する行動を起こしているということ。

そして、今身の回りに存在しているものって、今というタイミングだからこそ素晴らしく感じることができたものなのではないかなって。

年齢的な論点でのタラレバを語ることは確かにある。
あと○年早ければ…なんて例え話。
過去は変えられないけれども、不毛だと切り捨てる以前に、今、この年齢・このタイミングでこの環境だから良かったのだと思うことの方がたくさんあると思うわけで。

「今を積み重ねる」ってそういうことだと思う。

人様の幸せがどうこうとか不躾なことは言わないけども、少なくとも「自分は楽しかったよ。幸せだったよ。」ということを、せめて自分にとって大切な人にはわかってもらいたいという気持ち。決して美辞麗句や社交辞令などではなく。

ぼんやりと「一期一会」なんて言葉をよく使うけども、それは毎日がそう。
今日という日は二度とやってこない。

だから、今できること、今伝えたいことは今のうちに。

「後悔をしないために」ではなく、「満足のいく未来を作るために」、一日を大切に生きていきたいし、そうあって欲しいですね。